コスチュームジュエリーといえば──CoroとTrifari
コスチュームジュエリーの世界において「CoroかTrifariか」と語られるほど、この2社は非常に有名なブランドです。
品質を重視するならTrifari、流行のデザインと手頃な価格を求めるならCoro。そんなCoroは、実に数十ものサブブランドを持つ巨大なメーカーで、Coroについて語ろうとすれば分厚い専門書ができるほど。その証に、実際にCoroを専門に扱った書籍も出版されています。
ここでは、サブブランドには軽く触れる程度にとどめ、Coroの中心ブランドである「Coro」および「Corocraft」に焦点をあててご紹介します。少し長くなりますが、どうぞお付き合いください。
Coro周辺の人物と関連会社
Coroの話を始める前に、まずRobert Mandleについて簡単にご紹介します。
Robert Mandle
obert Mandleは、Coro設立者の一人であるRobert Rosenbergerが1990年代に引退するまで続いたジュエリーブランドです。現在では、Coroの元ヘッドデザイナーGene Verriが設立したGem-Craft社が、そのデザインスピリットを継承しています。
Mandle家は1840年代にドイツからニューヨークへ移住し、一家のUrie Mandleはセールスマンとして成功、E. Cohn & Companyというジュエリー販売会社を引き継ぎます。この会社はのちにCohn and Rosenbergerへと発展し、最終的にCoroとなります。
1930年代、Coroの創立者Carl Rosenbergerが亡くなり、息子のGeraldが後を継ぐと、Urieは会社を離れ、1938年に独自のUrie Mandle Corporationを設立。そこに息子Robertが入社し、短期間でCoroに次ぐ成功を収めましたが、第2次世界大戦中の金属資源不足で会社は解散。Robertは軍に従軍します。
戦後、RobertはUrieが新たに設立したUrie F. Mandle Companyに加わり、「URO Creations」としてスターリングシルバージュエリーの製造を開始。やがて会社は成長し、1956年にはR. Mandleと社名を変更しました。
この成長を支えた協力者の中には、Gene Verriの双子の兄であり、RI州でジュエリー製造を営んでいたAlfeo Verriなどがいました。Gene Verri自身もデザインを提供しています。
R. Mandleは、スワロフスキージュエリーからティーン向けジュエリーまで幅広く手掛け、1966年にはスワロフスキーデザイン賞を受賞。アメリカのコスチュームジュエリーメーカーとしては初めてヨーロッパ進出も果たしました。
Robert Mandleジュエリーはレアで少し高く取引されます
Coroの誕生と発展
Coroは、2つの会社「E. Cohn & Company」と「Cohn and Rosenberger」が合併し、それぞれの頭文字を取って名付けられたブランドです。
E. Cohn & Company
1902年、Emanuel Cohnによってニューヨークで設立された販売会社。のちにUrie Mandleが参画し、その営業力により西部アリゾナまで販路を広げます。
1903年にはCarl Rosenbergerが加わり、社名は「Cohn and Rosenberger」となります。
1911年、Emanuelは退社しますが、失踪、死亡、なかにはタイタニック号での事故死など、諸説あり詳細は不明です。
Carl Rosenberger & Gerald Rosenberger
Carlはドイツ生まれ。14歳で渡米し、16歳でジュエラーとして頭角を現します。その後Fischel and Nesseler社でコスチュームジュエリーを学び、Cohn and Rosenbergerに加わり1911年にCoroを創業。事業は成功を収め、ロードアイランド州に大きな工場を設立。慈善活動にも熱心でした。
1922年、息子のGeraldが加わり、Coroの販売網はヨーロッパまで拡大。1967年、Carlの死後、Geraldは会社をRichton Internationalに売却。時代の流れとともにコスチュームジュエリー業界にも変化が訪れ、Coroは1979年に閉業。買収したRichton Internationalも1980年に倒産しています。
Coroを支えたキーパーソンたち
Adolph Katz
Coroジュエリーの裏にしばしば登場する名前、Adolph Katz。デザイナーと誤解されることも多いですが、彼はデザイナーではなく、デザインの監修や選定を行う役職にありました。
1906年ドイツ生まれ。18歳で単身NYに渡り、Coro創設者Carl Rosenbergerの知人を介して入社。英語がうまくなく職がなかなか見つからなかったKatzを見かねた叔母が当時のCoroのCarl Rosenbergerの友達であった弟に仕事がないか訪ねたのがKatzがCoroで働き始めたきっかけでした。輸送部門からキャリアを始め、のちにデザインディレクターへと昇進。自身はデザインしなかったものの、優れた審美眼でCoroのデザイン方向性を決定づけました。
デザイナー Gene Verri
Coroの代表的デザイン「デュエットシリーズ」などを手がけたヘッドデザイナー。名前があまり知られていないのは、彼のデザイン特許がAdolph Katz名義で登録されていたためです。
1904年、イタリアから渡米した宝石商の両親のもとに生まれ、1911年に双子のAlfeoと共に誕生。第一次世界大戦の混乱で家族は離れ離れになり、Geneはアメリカの親戚のもとで育ちました。
12歳からアートを学び、14歳でロードアイランドのデザインスクールの奨学金を獲得。1933年、Coroが新しいデザインを求めていた時、Geneの才能にRoyal Marcherが注目し、彼のデザインが製品化されるようになります。
1948年にはCoroの許可を得て自身のブランド「Craftsman」(のちのGem-Craft)を設立。Capri、R. Mandle、Kramerなどにもデザインを提供しながら、1965年までCoroに在籍しました。
2000年には、その功績がヴィンテージファッション&コスチュームジュエリークラブより表彰され、9つの代表作が復刻販売されました。Gene Verriは2012年、101歳で亡くなっています。
Gem-Craft はCraft©と刻印があります
歴史
Coroは1903年、「Cohn and Rosenberger」として設立され、1911年に「Coro」へと社名を変更しました。
Cohnの失踪後、十分な製造スペースが確保できるニューヨーク538 Broadwayの地下に本社を移転。1923年には株式を公開し、同年、日本にバイヤーを派遣しています。
バイヤーたちはパールやビーズなどのコンポーネントを買い付け、戦後は完成品のジュエリーも仕入れてアイディアと共にロードアイランド州の工場へ持ち帰りました。
1926年には、Coroの新ラインとして「Corogram Incorporated」を設立。需要の高かったモノグラム入りジュエリーやアクセサリーを専門に扱い、1932年にブームが終わるまで人気商品として売れ続けました。
1929年、ウォール街の大暴落にもかかわらず、Coroは果敢にもロードアイランド州に大規模な工場を建設。これが成功を収め、最盛期には3,500人以上の従業員を抱える大企業へと成長しました。
この頃にはCoroのジュエリーは全米で広く知られる存在となり、1930年代にはアメリカ各地に店舗を展開。1933年にはイギリスとカナダにも工場を設立しています。
1943年、社名を「Coro Inc.」に変更。
1950年ごろには、Coroは世界最大のコスチュームジュエリーメーカーへと成長していました。
Coroの傘下には100を超えるサブブランドが存在し、マーケット、デザイン、価格帯ごとに幅広い層のニーズに対応していました。Vendomeのようなハイエンドラインから、ティーン向けの手頃で可愛らしいデザインまで、そのバリエーションは多彩でした。
どのようにデザインアイディアを出していたかか気になるでしょう。
Coroはジュエリー学校も運営していました。
Coroは独自にジュエリー学校を運営していました。
当時ジュエリー業界で働くには高度な専門知識と技術が求められ、Trifariのような企業は給料も良かった反面、非常に高いスキルが要求されていました。加えて、ジュエリー専門学校で学ぶには裕福な家庭環境が必要で、多くの若者にとってハードルは高いものでした。
Coroはこうした現状に対し、授業料無料のジュエリー学校を開校。生徒には少額ながら給与も支給され、働きながら技術を学ぶ環境を整えました。
この学校からは新しい発想を持った若いデザイナーが育ち、Coroは彼らのアイディアを積極的に商品に反映していきました。
Coroのジュエリーは非常に人気が高く、世界最大級の工場を持ちながらも、供給が追いつかないこともあったほどです。
1954年、カンザス州にいたCoroのセールスマンが、ローカルショップで偶然見つけたマスタードシード入りのアクセサリーをオフィスへ持ち帰りました。
このアイテムは大ヒットし、リボンがあしらわれた小さなブローチは150万個を売り上げる成功を収めます。。
幸運のモチーフ マスタードシードのブローチ ルーサイトに封入されている
1969年、Gerald Rosenberger(3代目のトップ)がCoroを完全に売却。1979年にはロードアイランド州の工場も閉鎖されました。
しかし、カナダのCoro Inc.は1990年代までジュエリー製造を続けていたようです。
CoroCraft
CoroCraft
1933年、Coroはヨーロッパ進出のため、イギリス・サセックスに工場を設立しますが、「Coro」という名称が既存のヨーロッパブランド「Ciro」と紛らわしいとして問題になり、裁判へと発展。
最終的に「Corocraft」というブランド名と刻印を使うことで解決します。
ヨーロッパ市場向けに展開されたCorocraftは、当時$10〜$50のハイエンド価格帯で販売。主に純銀に淡く金をプレートした「Vermeil(ヴェルメイユ)」ジュエリーが中心でした。
デザインは、Alfred KatzのもとでCorocraftを担当することになったGeneが、ヘッドデザイナーとして活躍。
1933年から1970年代まで、CorocraftはCoroの最重要ラインとしての地位を築きます。
品質管理の観点から、イギリス工場はほとんどの工程を自社でこなせる体制を整えていたものの、ジュエリーのマスターピースである型(金型)はすべてアメリカ・ロードアイランド州で製造・管理されていました。
Coroが売却された1970年代以降、この工場はスワロフスキー社に買収されましたが、以前のような活気を取り戻すことはありませんでした。
Vermeil ローズゴールドやイエローゴールドがありました。
シグニチャーピース
Coroの有名なコレクタージュエリー Duette
Duetteシリーズ。2つのブローチを1つに組み合わせて使うことができます。Gene作
1929-1946年の間に販売されました。有名なおうむのブローチもありますがこのカメリアが最も彼の有名な作品
50年代以降はルーサイトを使ったジュエリーがよく見られます。